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08年世界戦参戦記

うわーん。

2012年6月29日 (金)

2008年12分の1世界戦参戦記・その29

 僕、この参戦記書き終わったら思いっきりラジコンするんだ!(死亡フラグ)


 ま、書き終わらなくてもラジコンはする(してる)んですけどね。

―実力相応・その3(2008年11月11日・月曜日)―

 予選第5ラウンドの準備は整った。タイヤはフロント/パープル、リヤ/ZENミディアムでいくことにしたが、やや気がかりなのがその手持ち数だ。予選は後2回のみだが、今大会では全メインで3回決勝レースをやるとのこと。総参加人数がそれほど多くないので、天気さえ持てば、これは十分にこなせる数だ。だが、決勝のことまで考えると残りタイヤはギリギリである。とはいえ、現状では目標のCメインに届いてないのだし、決勝のことは考えずに、とりあえず予選に集中することにした。
 そんなことを考えているうちに僕の出番がやってきた。朝の練習でソコソコ走れたことである程度は胆がすわり、昨日に比べればだいぶ落ち着いて操縦台に上がれた。もちろん、立ち位置は階段から見て一番奥、左端に陣取った。やがてレースがスタート。走り出した僕のクルマは、ややアンダーステア気味なのは相変わらずだが、これは意図してのものであり、安定して周回を重ねることができる。スポイラーの追加も効果があったようだ。レース中、僕よりペースの速いクルマにラインを譲る機会が何度もあったのも相変わらずだが、クルマが安定しているためにスムーズに避けることができ、それで極端にペースが落ちることもなかった。こうして淡々と走ったレースは終了。上位陣のペースとは比べるべくもないが、初めてマトモに走り切った気がする。

Q50014
予選第5ラウンド第4組の結果。個人的には初めて37周に入れてひと安心。上の方は気にしちゃダメよ。

 結局予選第5ラウンドのみの総合では24位ということになった。ポイント制なので131点をゲット。だが、予選第1&3ラウンドがメタメタだったから、オーバーオールではまだDメインである。しかし、前日を考えれば上出来だ。細かい計算はしていないものの、第6ラウンドでも同じような順位になるタイムを出せば、おそらくCメインには残れるだろう。
 現金なもので、たった1ラウンドまともに走れただけで気分がすごく楽になった。僕はサポートティドドライバーじゃないし、この世界戦にも自腹で来ているから、誰かに対して責任があるわけじゃない。でも、自分の実力が出し切れないのは、何よりもまず自分に対して納得がいかないのである。この気持ちがなくなったときが競技ラジコンをやめるときだとは思う。

 ということで、最後の予選ヒートもできる限りの走りはしたいが、クルマに関してはどこもいじらずにいくことにした。ようやくマトモに走れるようになったのだから、ここは現状維持で。しかし、これから気温は上昇するのは間違いなく、路面グリップが自然に落ちてきてしまうのは仕方ないだろう。でも、予選はポイント制なので相対的なタイムが問題になる。だから、やっぱりいけるだけいっておこう。充電もOK、マシン整備(といってもタイヤを付け替えただけだが)もOK、本人もOK。ついに予選最後のラウンドが始まる。

 僕の出走は第4組。そこで第3組までのレースをラップモニターでちらちら見ていたが、案の定、各選手のラップタイムはあまりよくない。やはり路面温度が上昇してグリップが落ちているようだ。まあそれは想定内なので、自分のできることをやるだけだ。

 いよいよ僕のレースがスタート。あらためて記しておくが、これは間違って入ってしまったBメイン相当ヒートである。だからスタート順も後ろの方だし、レース中に僕の名前がアナウンスされることもほとんどない。そういう意味では気楽で、あとはアナウンスに応じて後ろから迫ってくるクルマにラインを譲りつつ、自分ではミスしないように走るのみだ。実際にレースでもほぼこのとおりに事は進んだ。セッティングも悪くはなく、自分としてはかなりよいペースで走り続けることができた。というより、おそらく自己ベストのペースで周回していることが自分でも分かった。路面が落ちていることを考えれば上出来だ。今までが悪すぎただけともいえるが……。こうしてある意味では何のドラマもなくレースは終了。やっぱり自己ベストでゴールしていた。

Q60014

予選第6ラウンドの結果。わずか1秒だが自己ベストを更新した。トップゴールが39周だったことを考えれば決して悪くないタイムだ。ヒート8位のタイムだからあんまりよく見えないけど、コレって後ろから2組目だからね。

 「やれるだけのことはやった」―僕自身としてはほぼ満足してレースを終え、そのまま最終組のコースマーシャルを行った。結局第6ラウンドだけの順位では総合21位。この辺が実力めいっぱいといったところで、出来すぎといってもよい。ポイントは134点を獲得。

Qall

すべての予選ラウンドが終了し、確定した予選総合順位。僕は28位で目標のCメイン入りは達成。欲をいえばもう3、4コ上の順位で終わりたかったけど、2日目までの惨状を考えるとそれは贅沢かもしれない。(続く)

2012年6月28日 (木)

2008年12分の1世界戦参戦記・その28

 6月もいよいよ終わるってのに温度が低めだね。これでは不満だ。こんなときにタイの思い出を書いていると、いよいよもってあの高温多湿な気候が懐かしく感じてしまう。

―実力相応・その2(2008年11月11日・月曜日)―

 前回の続きを書く前に、操縦台の立ち位置変更でどう見え方が変わったのかをバーチャルRCプロの画面で説明しておきたい。いや、便利な時代になったもんだ。これをやるために世界戦参戦記をここまで引っ張ったといっても過言ではない(嘘)。

初日&2日目まで立っていた位置からの見え方
First1
ストレートエンドはこんな風に見えてる。

First2
問題のシケイン出口はこういう感じ。

で、最終日に変更した左端の立ち位置ではストレートエンドがこう見える。
Second1
かなり遠くなったが、近くてもちゃんと走れないんだからあまり関係ないかも。

Second2
シケイン出口がすごく近い。しかし、よく見えるのも事実だ。このRCS(RCスピードウェイ)に関しては、バーチャルRCプロはホントによくできてる。

 で、本筋に戻ります。
 僕は「ある物」を探してショップに入った。ちなみに午前中にもかかわらず外はすでに結構な温度になっているが、室内は冷房が効きすぎなくらい。タイもそうだし、2度行ったことのあるマレーシアもそうだったけど、なんで南国はあんなにエアコンを効かすんだろう? 現地の人ならある程度は気候に慣れてるんじゃないのか? 
 ショップにはオーナーのノッパさんがいた。この人は僕と同い年だが、非常に人当たりがよく「微笑みの国」をまさに体現している感じ。そして目的の物はすぐに見つかった。だが、ショーケースに入っていた(タイに限らず、海外のRCショップの多くではほとんどの商品がショーケース内かスタッフの目の届く範囲に置かれている)ので、僕はノッパさんに「コレください」と声をかけた。
 僕が買おうとしたのは電動ツーリングカー用のリヤウイングだ。要するにボディのリヤにスポイラーを追加しようというのだ。リヤへのスポイラー追加は初日から多くの選手が行っていたが、これは単純に不足気味のリヤグリップを補うのが目的だ。このころの世界戦におけるリヤスポイラーの解釈は実にあいまいで、僕が参加した大会でも00年では部分的に許可され(だがサイドダムの大きさの解釈は複数あった)、02年では一切が禁止となっている。この間、スポイラーに関する規則の記述に変更はないのに、である。そしてこの大会では、一定以下の大きさなら装着OKとなっている。僕のクルマには初日からリヤグリップ不足を感じていなかったため、スポイラーの追加は行っていなかったのだが、朝の練習で走った感じでは、装着した方がよさそうに思えたのだ。セッティング変更によってクルマは弱アンダーステア気味に仕上がったものの、これから気温も上がる予選ラウンドでは、リヤグリップが薄くなることが予想された。しかし、手持ちにリヤスポイラーに適したポリカーボネート板がなかった(そもそも、02年の経験からリヤスポイラーの追加が許されるとは思っていなかった)ので、ツーリング用リヤウイングを切ってスポイラーを作ろうと考えたのだ。
 ウイングを指さしながらの僕の呼びかけに対し、ノッパさんは「それ買ってどうするの?」と聞いてきた。もちろん、これは純粋な疑問というより「12分の1のスポイラー作るんでしょ?」という確認みたいなものである。「いや、12分の1のリヤスポイラー作ろうと思って」と僕が答えると、「それなら確か端切れがあるよ」と、店の奥で何やらゴソゴソと探し出した。「ハイ、これ使って」とノッパさんは何かのボディを切った余り部分をさし出した。確かにリヤスポイラーを作るには十分な大きさがあった。これを使えばツーリング用ウイングを買う必要はないよ、と微笑みながら僕に手渡してくれたが、ショップオーナーのくせに商売ッ気のない対応である。純粋に人間がよいのだろう。ああ、その親切さが眩しい。当然、僕は感謝しながら端切れをもらい、スポイラーを作るためにピットに戻った。
 さっそくカッターナイフとノギスを使ってリヤスポイラーを作り、ボディに接着することにしたが、ボディにスポイラーを取り付けるための薄手の両面テープがなかったため、吉岡大輔選手に少し分けてもらった。そして両面テープとグラステープでのスポイラー固定も終わり、予選第5ラウンドへの準備は整った。

Rear_2
現場で作ったリヤスポイラー。これは本日この記事のために撮影したもの。ボディからは自然にはがれてしまっているが、何となく捨てられずに今でも持っている。

(続く)

2012年6月26日 (火)

2008年12分の1世界戦参戦記・その27

 前触れもなくひっそりと再開。この連載はちゃんと完結するってわたし信じてる!

―実力相応・その1(2008年11月11日・月曜日)―

 準備期間から考えるとかなり長かった世界戦もついに最終日である。こういうシチュエーションでいつも思うのは、最終日までくると実はあっという間に感じることだ。これは別に年を取ったからではなく、いろいろなことが一気に思い返されるからだろう。前夜はクルマのあちこちをいじったものの、作業開始が早かったためか、それほど遅くならずにベッドに入り、しかもぐっすり眠れた。もちろん、朝ごはんも洋風、タイ風チャンポンでしっかりと食べた。
 朝食後はいつものようにタクシーでコースに到着。充電そのほかの準備を進め、朝の練習走行に備える。前日からの変更は以下の点だ。まずはリヤのグリップを高めるために、Tバーのツイックレスプレート(ヨコモ製)をミドルサイズから最も軟らかくなるスモールに変更し、モーターは手持ちのLRP・X11の4.0ターンに戻した。パワー感はあきらかに新型のX12が上だが、ストレートエンドのブレーキフィーリングはX11の方が自然に感じるのだ。リヤタイヤはこれまで同様なものの、フロントはマゼンタからパープルに戻すことにした。セッティングの基本は「同時に複数の部分をいじらない」だが、そんな悠長なことをしている時間はない。こういうときのために日ごろの練習ではひとつずつセッティング変更の成否を確認し、自分の中での引き出しを増やしておくのだ。と、書くと偉そうだが、前日までの僕は完全に迷走状態にあり、そんなことを考える余裕はなかった。でも、この色々と迷いまくった経験はその後のラジコンレース人生で活きていくことになる。

 そして朝の練習走行が開始された。僕の走行ヒートは最後から2番目のままだ。友人にクルマを託して操縦台に上るが、階段からは一番奥、コースに対して一番左端に陣取った。僕の利き目は左であり、どちらかというと操縦台は右寄りに立つことが多い。これは効き目である左目の方が視野を確保しやすいという理由によるもの。このことに関しては眼科医の先生も根拠があると言っていた。しかし、今回の予選メンバーは皆右寄りに立つ傾向があり、空いているのは左の方だったのだ。多分みんなストレートエンドのタイトヘアピンと、それに続くS字の視認性を上げたいのだろう。ここまで左端に立つのは初めてだが、右隣にもスペースができたので、とりあえず視界は良好だ。
 いよいよ練習走行がスタート。前日までとはコースの見え方が違い、さらにクルマにも変更を加えているから、それぞれを確認しながら走らなければならない。そんなわけでゆっくりめのペースで走り出したところ、クルマの挙動は悪くない。加えて、コースの見え方もそれほど違和感がない。不得意なストレートエンドはより見づらくなったが、元々ここは速く走れないので、思い切って捨てることにした。何よりも他人の送信機で視界が遮られないのが快適だ。徐々にペースを上げていくが、ストップウォッチを片手に僕の走行を見守る友人も「ペースそんなに悪くないよ!」と言っている。ギャンブルに出たクルマのセット変更も、操縦台の位置変更も失敗はしていないようだ。

 練習走行を終え、ピットに戻った僕はまず一息ついた。友人から渡されたストップウォッチでタイムを確認すると、確かに悪くない。なので次の予選ではこの方向のクルマで臨むことにするが、さらなる変更を加えるため、コース脇のショップに足を向けた。(続く)

※次回はなるべく早めに掲載します。

2011年1月 2日 (日)

2008年12分の1世界戦参戦記・その26

―迷走・その8(08年11月10日・日曜日)―

 2011年になっていきなりですが、08年のレース参戦記を再開します。もはやこの参戦記の存在は忘れられている気もしますが、始めてしまったものを未完のままにするのも落ち着かないので、なるべく早めに終わらせたいとは思っています。興味のある方はしばしお付き合いのほどを。ちゃんと終了できるよう、せいいっぱいがんばるわ!

「さっきのクラッシュ、見えてなかったでしょ?」そう友人に聞かれた僕は「あ、やっぱり分かった?」と答えた。「だって、いくらハセガワさんがヘタでもあそこまで変なブツけ方はしないでしょ」あいかわらず他人の不幸を楽しんでくれる友人である。「だってさ、その前の周と送信機の位置が違うんだぜ。勘弁してくれよ、って感じ」「次のラウンドでは立つ位置を変えるんだね」「うん、そうしようとは思うけど、今日の結果で明日の組み合わせは変わるんじゃないの?」このときの僕は、ここまでの順位によって翌日の予選組み合わせが変更されると思っていた。だが、マネージャーミーティングでもその話は出ていなかったし、組み合わせがそのままという可能性もあるので、最終日の予選組み合わせについては全ラウンドの終了後に確認する必要があった。
 しかし、グダグダな一日だった。周囲のスピードにほんろうされてしまい、完全に自分のペースを見失っていた。こんな僕を笑うなら笑えばよいが、僕と同程度の実力のドライバーが実際にあのメンツの中で走ったら、おそらく笑えない結果になるだろう。なぜ、エンジョイラジコンをやりに来て、こんな苦労をしなくてはならないのか……?
 結局、最終日の予選2ラウンドも本日の組み合わせのまま行われることになった。となると、何かを変えなくては今日のグダグダなレースを繰り返すことになる。操縦台の立ち位置を変更するのは当然として、クルマの方でも対策は必要だろう。とにかく冷静になって考えなくてはいけない。ホテルに戻ると、友人たちは蟹料理を食べに行きたいという。魚介類があまり好きではない僕はこれをパスして、手近なショッピングセンターのフードコートで簡単に夕食を済ませ、すぐにホテル帰ってクルマをいじることにした。
 まずは初日に比べて何が悪かったのか考えなくてはならない。もちろん、初日と今日では路面コンディションも変化しているはずなので、それも考慮する必要がある。“濃すぎる”メンバーの中で完全に自分を見失っていた一日だったが、自分のクルマがどんな挙動をしていたのかを思い出してみる――(もしかして、ちょっと巻いてたんじゃないか?)――それが最初に思いついたことだ。このブログを読んでいる人にはいまさら説明する必要もないだろうが、ここでいう“巻く”とは、クルマがコーナーでオーバーステア気味になり、フロントよりもリヤが先にスライドする現象のことである。大抵の場合、この状態ではよいラップタイムは望めない。確かに前日よりクルマが“曲がる”と感じていたが、これは路面グリップが上昇したことによるものだと思っていた。しかし冷静に考えてみると、路面がそれほどよくなっているわけではなく、単純にリヤグリップが足りなくて巻き気味になり、それを曲がると感じていた可能性もある。普段ならこの程度のことは分かりそうなものだが、それすら自覚できなくなるほどの状態にあったともいえる。
 ならば対策はいくつかある。この分析が間違っている可能性もあるのだが、ほかには考えつかないので、とにかくセッティングの変更を行い、その良否は翌朝の練習走行で確認すればよい。やることが決まると、不思議と気持ちは楽になった。
「さて」――僕は工具を持ち、クルマのリヤ回りを分解し始めた。(続く)

2010年6月21日 (月)

2008年12分の1世界戦参戦記・その25

―迷走・その7(08年11月10日・日曜日)―
 12分の1世界戦2日目最後の予選が始まる。僕自身のここまでの流れはグダグダで、せっかくタイまで来たのにレースを楽しめていない。別にワークスドライバーじゃないので、成績が良いに越したことはないが、それが一番の目的ではない。しかし、だからこそ楽しめなかったら“負け”である。最終ヒートでは路面温度がやや下がって路面コンディションが良くなることが予想されるため、セッティング変更はあえて行わずにレースを迎えた。
 そして僕のヒートがスタート。正直、自分のクルマがちゃんと走っているのかもよく分からなくなっていたが、とりあえずは走行を続けた。だが、レース中盤に予想外のことが起こった。
 今回のコースには操縦台手前やや左寄りに高速S字コーナーがあり、僕の立っている位置からはS字二つ目のクリッピングポイントがちょうど左下側になるのだが、ここがいきなりブラインドコーナーになってしまったのだ! それまで見えていたコーナーが突然見えなくなり、高速で縁石を引っかけた僕のクルマは宙を舞ってアウト側のフェンスに叩きつけられた。さらに間が悪いことに、反動でコースに戻ってきた僕のクルマにトップを走るマシンが激突! そのマシンも大幅なタイムロスを喫してしまった。
 突然コーナーが見えなくなった原因は僕の左隣の選手の送信機にあった。僕よりかなり背の高いその選手は、普通にホイラー型送信機を持つと僕の顎の高さぐらいにステアリングホイールがくる。これなら僕の視界に問題はないのだが、この選手は興奮してくると送信機の位置が上がってくるのだ! (さっきと送信機の位置が違う!?)―S字コーナーを走る自分のクルマを見ながら顔を左に向けた僕は、突然隣の送信機に視界が遮られ、結果としてクラッシュしてしまったのだ。どうやらその直前に僕の左隣の選手は、クロームシルバーのマシンを周回遅れにしようとして接触してしまい、そのことでエキサイトしていたようだ。(そういやさっき何か叫んでたな…)僕はマーシャルにクルマを直してもらいながら、そんなことを考えていた。レースに復帰した僕のペースはクラッシュ前よりさらに悪くなってしまった。なぜなら、高速S字がブラインドになってしまったので、その部分でスピードを落とし慎重に走る必要があったのだ。まさかこんなかたちでクロームの影響を受けるとは…。レースはそのまま走り切ったが、記録はもちろん悪く、総合順位は30番台の後半に落ちたようだ。
 レースを終え、操縦台を下りてきた僕に友人がこう言った。「さっきのクラッシュ、見えてなかったでしょ?」(続く)

2010年5月31日 (月)

2008年12分の1世界戦参戦記・その24

―迷走・その6(08年11月10日・日曜日)―
 何かを変えようと思った僕は、LRP社のマネージャーであるレト(敬称略)に新型モーターの貸し出しを依頼した。これは前日のオファーを受けたかたちになる。もちろん、それまで使っていたLRP・X11モーター4.0Tに不満あるということではない。ただ、このままズルズルと悪い流れになりそうなのを断ち切りたかったのだ。僕の依頼を快諾したレトと相談の上、新型X12モーターの4.5Tを借りることにした。
 そして始まる予選第3ラウンド。この日は第3ラウンドを含め、あと2回の予選がある。路面グリップも午前中に比べれば落ちていると思われるが、昨日の経験を踏まえ、セッティングの変更はしないと決めた。そして僕の予選ヒートがスタートした。走り出してみると、クルマのスピードが速くなっているのが分かった。これは単純にモーターを変更した効果だ。しかし、ブレーキのかかり方がX11とはかなり異なるため、不得意にしていたストレートエンドのコーナーがより悪くなってしまった。(スピードは出ているのだから、あとは本人がなんとかするしかない)―そう考えながら走るものの、どうしてもリズムがつかめず、加えて後方から迫る速いクルマにラインを譲る作業が、さらにペースを悪化させていった。
 どうしようもなくリズムが悪い―Bメイン組に入ることが分かったときの懸念が現実化し、練習時のようなイメージでは走れなくなってしまっていた。そんな状態で第3ラウンドは終了。もちろん記録的に見るべきものはない。ここまで悪いとクルマのセッティングも見直すべきなのだが、まともに走れた周のタイムはそれなりに出ているので、どこを変えればよいか見当がつかなかった。また、セットを変えることによって却って悪くなってしまうのではないか、という不安もあった。結局は「僕自身が落ち着くしかない」という結論になり、タイヤ銘柄を含め、セッティング変更は行わないことに決めた。もちろん、結果から言うとこれも間違いだったのだ。(続く)

2010年5月30日 (日)

2008年12分の1世界戦参戦記・その23

―迷走・その5(08年11月10日・日曜日)―
 レースの時間の約4分の3を見学に費やすという予選第1ラウンドが終了した。その見学も、何だか途中からはクロームシルバー車ばかり見ていたような気もする……。このラウンドでの僕の順位は下から数える方がはるかに早いと思われる(2分リタイヤなんだから当たり前だ)。そこで気を取り直して第2ラウンドの準備を進めることにした。セッティングは基本的に第1ラウンドと同じ。これは、リタイヤしてしまったとはいえ、クルマの挙動自体に大きな問題はないと判断してのこと。もちろん壊れたスパーギヤは新品に交換した。第1ラウンドの早期リタイヤにより、結果的にタイヤローテーションには若干の余裕ができた。まあ、あまり嬉しくない状況ではあるが。
 続く第2ラウンド。通常、ここから路面温度はどんどん上昇し、ラップタイムが落ちるのは間違いない。それだからこそのポイント制レースではあるが、よく走るに越したことはないので、路面変化を見極めて的確なセットアップを施す必要がある。しかし、第2ラウンドの時点ではそれほど大きな変化もないだろうとも考えていた。そうこうするうちに出走時間となり、今回は9台中の最後にスタートを切った。
 結果から言うと、実はこのラウンドのことはあまり覚えていない。少なくとも、本人が全然“走れて”いなかったのは事実である。後方から迫る速いクルマにコースを譲ることに神経を取られ、どうしてもペースがちぐはぐになってしまっていた。悪いことに、このあたりから自分のクルマがよく走っているのかどうかも判断できなくなっていたようだ。そして何ともしまりのないままにレースが終了。本人的にも全く納得のいかない結果になった。ただし、クロームのクルマよりは良かった気がする。もちろん、そんな低レベルの話をしている場合ではない。第2ラウンドだけの予選総合順位もかなり低い位置だったと思うが、あまりにふがいない内容だったので、掲示板は見に行かなかった。いずれにせよ、僕の場合は第1ラウンドが完全な捨てポイントになっているため、本当の順位はもう少しラウンドが進んでみないと分からなかった。
 (何かしないとマズいな)―そう考えた僕は、ひとつのチャレンジをすることに決めた。―今だから分かるが、これが「迷走」の始まりとなったのだ。しかし、この時点でそんなことを知るよしもない僕は、LRPマネージャーのレト・コニック氏に「モーターを貸してほしい」と話しかけた。(続く)

2010年5月29日 (土)

2008年12分の1世界戦参戦記・その22

―迷走・その4(08年11月10日・日曜日)―
 クロームシルバーのボディをまとったそのクルマは、ストレートを真っ直ぐ走ることすらおぼつかないように見えた。そしてコーナーに進入を始める時点からテールはスライドし、フラフラしながら立ち上がっていく。当然、周回ペースはかなり遅い。おそらく同じヒートで走るどのクルマよりも遅いだろう。そうなると周回が進むに連れて上位を走行するクルマが追いついてくる。通常、このような状態になったらなるべく早くラインを譲るのがマナーであり、また、レースを監視するレフリーからもそのように注意がうながされる。だかしかし、速いクルマが背後についてもクロームのクルマは中々道を譲らない。いや、譲る意思はあるのかもしれないのだが、何しろクルマがマトモに走っていないため、譲る気がないのか、譲りたくても譲れないのか外からでは判断ができないのだ。それは背後のマシンを操るドライバーも同様のようで、一気に抜きさるのを躊躇しているように思えた。そして意を決して抜きにかかった際にラインが交錯して接触―そんな場面を何度か目撃した。
 こうした惨劇(?)を見ながら僕が思ったのは「クロームのドライバーはラインを譲ることに慣れていないんじゃないか?」ということだ。彼、南アフリカからやって来たマイケル・ギブソン(実際に選手の名前をきちんと確認したのは予選ラウンドがいくつか進んでからだが)は、もしかすると地元では相当に速い方に属し、ふだんはあまり速いクルマにラインを開けるという状況にならないのかもしれない。そのぐらい譲るのが下手に見えた。その点僕はコースを譲ることに日常から慣れており(泣)、例え後の予選ヒートで同じようなシチュエーションになっても、それほどヒドいことにはならないだろう、とも思った。と、同時に考えたのは、自分が彼に追いついたらどんな風に抜けばいいのか? ということだった。僕のクルマは、リタイヤしてしまったとはいえ、普通に走っていればどう考えても彼のクルマよりは速い。しかし、結果から言うとそれは杞憂に終わった。この後の予選ヒートで彼のクルマに追いつくことが何度かあったが、とくに問題なくラインは譲ってもらえた。しかし、後に彼は別のかたちで僕のトラブルに関わってくることになるのである。(続く)

2010年5月22日 (土)

2008年12分の1世界戦参戦記・その21

―迷走・その3(08年11月10日・日曜日)―
 練習走行でクルマの状態は確認できた。とりあえずセッティングは前日と同じで問題ないようなので、予選第1ラウンドはこのまま行くことにする。今大会では全部で6ラウンドの予選を行い、選手には各ラウンドごとに着順ポイントが与えられる。そして最終的な順位は6ラウンド中上位4ラウンドの合計ポイントによって決定される。つまり、2ラウンド分の“捨てポイント”があるということだ。一見、楽そうに思えるこのポイント制だが、めまぐるしく変わる路面コンディションに対応してその時々で常にベストの走りをしなくてはならず、実際にやってみるとかなりキツいレース方式であることが分かる。しかも、予選序盤の2ラウンドでリタイヤなどしてしまうと、後がなくなって精神的にも追い込まれてしまうのだ。
 そしてついに予選ラウンドが開始された。僕とクルマの準備も滞りなく進み、操縦台の立ち位置も練習時と同じ場所が取れた。スタートの合図に続いてカーナンバー1のクルマから走り出す。6番スタートの僕はやや緊張気味だったが、まずは普通にスタートし、少し遅いながらもそれほど悪くないペースで周回を重ねる。しかし、スタートから約2分、イン側の縁石に若干クルマを乗せてしまった次の瞬間に、駆動系から異音が発生した。異音はクルマが進むごとに大きくなったので、そのままコースを半周してピットにクルマを入れた。(ギヤをやっちゃったな)―おそらく縁石にスパーギヤを引っかけて破損してしまったのだろう。ピットの友人がクルマを確認して首を横に振る。これでリタイヤ決定である。ポイント制レースの大切な1ラウンド目でリタイヤするのは非常に痛い。
 レースの続行は不可能になったものの、操縦台を下りる訳にもいかないので、後は特等席からレースを見学することになった。わりと醒めた目で各選手の走りを観察していると、ストレートエンドのヘアピンコーナーの進入で面白いことが分かった。それは、レースが進むごとに各選手のライン取りが洗練されていくということだ。正直言って、この段階で完璧にセッティングが出たクルマはなく、ほとんどの選手が何がしかのガマンをしながら走行を続けている。しかし、そんな状態のクルマでも、挙動を把握するとどんどんペースが上がっていくのだ。(なるほど、これがトップドライバーの能力か)―僕は世界上位ドライバーの操縦テクニックに感心すると同時に、何で自分がこのヒートにいるのか、改めて疑問に思った。だが、1台だけ変な挙動で走るクルマがあった。そう、あのクロームシルバーのボディである。(続く)

2010年5月13日 (木)

2008年12分の1世界戦参戦記・その20

―迷走・その2(08年11月10日・日曜日)―
 クロームボディの存在にややビックリしつつも、走行開始の合図があったのでマシンをスタートさせた。とにかく周囲のドライバーがどんなペースで走るのか分からないが、自分のクルマのチェックを優先させなければならない。いつもと同じように、1周目はゆっくりと回り、2周目からスピードを上げる。
 (!)最初に驚かされたアンプの反応だった。前日まで積んでいたスフィアコンペティション2007に比べ、スロットルの滑らかさがケタ違いだ。前日までは神経を使っていた中速コーナーの出口も、格段とスムーズに立ち上がっていく。これは十分な武器になる―そう考えながら周回していると、若干ながら僕の気持ちにも余裕が出てきた。どうやら、運転手はともかく、クルマの仕上がりにはまだアドバンテージがあるようだ。その証拠に、コースを周回するペースは他のマシンに比べても悪くない。が、中にはまだクルマが仕上がっていない選手もいるようで、時おりコースのどこかでクラッシュする音が聞こえていた。
 練習を終え、最終組のコースマーシャルに着く。さすがにこのヒートは前日のトップ9が集まっているだけあってペースが速い。とはいえ、多くのクルマがややテールを滑らせながら走っており、十分なグリップを確保しているわけではなさそうだ。要するに運転が上手いのである。(ラジコンってやっぱりウデなんだな)いまさらのように考えながら、マーシャル業務は終了、いよいよ“本番”の開始である。(続く)

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